大きな北国での小さな日常。

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学ぶということ。

高校の履修単位不足問題について、いろんなサイトさんがいろんな意見を載せている。
今回、珍しく(?)やまざきさんも、この時流に乗ってみようと思う。

私が通っていた高校はとある仏教系の女子高だが、なんでも
「これからの時代、女性も社会進出すべき」との校長先生だか誰だかの考えで
医歯薬系大学を始めとする理系コースが、女子高の割に充実していた学校だった。

その理系コースに入るためには学内テストにパスしなければならない。
しかし、私は見事落ちてしまった。
それも学内テストだけなら、私は上位5位以内に入っていたにも関わらず
今までの定期テストの結果が芳しくなかったので、総合点が及ばずで不合格。
結果、理系志望なのに文系コースに在籍する羽目になったという、特異な経験を持つ者から言えば
例え卒業に必須であろうがなかろうが、こちらにしてみれば、どれも受験には必要のない科目を
勉強させられていたことになる。

高校時代はとても楽しく、一生モノの友人達に出会えたと思っているが
同時に、私の人生はここで狂ったな。とも思っている。

もし、先のテスト結果を聞いた時「トップクラスの点数を取ってるのに?」と
先生達の前でごねてみるべきだったのかもしれない。が、当時の私はそれをしなかった。
もちろん、落ちた理由が理由だけにとてもショックだったけれど、
本当にサイエンス系に進学したいのかどうか、16歳だった私にはごねてみようと思うほど
自分の人生をまだはっきりと定めていなかった。

その頃から「医者になる!」と、固い決意を持っている子もいるだろうけど
高校生達のほとんどは「自分が何をしたいのかまだわからない」んじゃないだろうか?

前置きが長くなった。

今回の単位不足の問題は「受験に関係ないから」という理由で
本来なら必修であるはずの科目が、学校ぐるみで削除されていた。
つまり、自分には何が向いているのかよくわからないと悩んでいる生徒達に
「知らないことを知る」教育ではなく、単なる「受験に勝ち抜くためのスキル」のみ
学校側が強いていたことになる。

学校というのは子どもに「自分は何を知らないか」を学ばせる場である。
一方、受験勉強は「自分が何を知っているか」を誇示することを生徒たちに強いる。
たくさんの教科を学校が用意しているのは、ほんらい生徒たちに
「自分が何を知らないか、何ができないか」を知らせるためである。
世の中には自分の知らないことがたくさんあるんだ・・・と思うことができれば
それだけで学校に行った甲斐はある。
しかし、受験勉強は「自分にできること」に特化することを子どもたちに強いる。
『内田樹の研究室』より抜粋



学業という視点からみた私の高校時代は、理系選抜試験に落ちてからあまり意味はなかった。
結局残りの高校時代を中途半端に過ごしてしまった故に、中途半端な学力しかつかず
当然、大学受験にも失敗し、結果アメリカへ行くもこれまた中途半端な結果となり・・・・・と
学歴コンプレックスならぬ「大学コンプレックス」だけが残って現在に至るという有様。

しかし「学ぶ楽しみ・苦しみ」を知ったのは、この大学コンプレックスのおかげだったというのも
なんとも皮肉なもので。


長編になりそうなので、続きは明日。











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