大きな北国での小さな日常。

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学ぶということ(続き)

昨日の日記で
「理系志望だったのに文系在籍」する羽目になった高校時代について少し述べた。
理系オンリーの授業ではなく、世界史や古文を習っていたおかげで
相手の国についての知識や自国についての文化を話せる基礎が出来たと思うが
それは単なる今の状況と照らし合わせた結果論であって、当時の私にとっては文系科目は
どれも「全く意味をなさない存在」でしかなかった。

だが、もし私が無事に理系クラスに入り込めたとしても、希望する大学に入れたかどうかは
定かではないし、第一、カナダで留学生していなかったかもしれない。

では希望通り理系クラスに入り、これまた希望する大学にも入り
そしてカナダに留学するチャンスにも恵まれたとする。
果たして希望する上位クラスに食い込めるか。

答えは「No」。これは断言できる。
日本式の勉強の仕方だと、たとえ最初はよくても途中で必ず頭打ちにあう。
その理由を述べるために、昨日同様『内田樹の研究室』からの抜粋文を引用してみる。

日本での勉強のコンセプトは

「知識をふやす」というのは「同一平面上で水平移動域を拡げること」である。


対して、カナダ(北米)では

「知識についての知識をもつ」というのは「階段を上がること」である。


この2文を目にした時、私はハタと膝を打った。
同時に、現在私が感じている「やってる割には成果が今ひとつ」な理由がやっとわかった。
恥を忍んでいうけれど、この期に及んでもまだ「階段を上がる方法」がわからない。
各講義の「コンセプトをつかむコツ」を会得していない。
その証拠に先日のテストでは、日本のやり方で対処できる定義や意味を問う問題
(いわゆる暗記系)はほぼ満点だったのに、応用問題で一気に点を落とした。

こう書くとなんだか点数ばかりに拘っているみたいだが、でも事実は事実。

日本では「○○大学卒」などの最終学歴校に重きをおくが、こっちでは

What's your major?(専攻は何?)

学校名よりも、先に必ず学部を問う。
「Neuroscience です」と、答えると必ずそれ相応の「知識を持っているはず」ことを前提に話は進む。
何もこれはサイエンスに限ったことではなく、ビジネス専攻であろうが社会学専攻であろうが
University に進学すること自体、何かの「専門家」になろうとしていることだから
だからその道の知識がたっぷりあって当たり前。だってそのために大学行ってるんでしょ?

というのがカナダでの一般的な大学生観であり、最高学府へ進学することの意味でもある。

では日本の大学はどうなのか?

私は日本の大学に通った経験はないので、ここで何かを言う筋合いはない。
が、社会人時代によく休憩室で何度か放った

○○君って、△△大卒なの?(または院卒なの?)
ふーん・・・・・・・ 裏口?


というコメントで察していただきたい←何様的物言いだが、私は決してお局ではなかった。多分。

法学部出身が営業部に配属されること自体、日本の社会構造はちょっとおかしいのだけれど
だからといって「だから日本の教育はおかしい!」と、声高に叫ぶ勇気もないし
「だから北米同様のシステムに変えよう!」というのもちょっと違うと思う。

ただ、入学が厳しいか(日本)卒業が厳しいか(北米)の違いはあれど
「学ぶこと」に対する姿勢というのは万国共通のはずだし、そうあるべきであるはず。
知識を追求する面白さや、その知識を土台にしてまた新たな知識を積み上げる過程を
教えるというのは、たとえ国は違っていてもこれが「学校」が学校であるための責任であり
使命なんじゃないだろうか。
少なくても私が通った日本の学校では「階段を上る方法」は教えてもらえなかった。

今回の履修不足問題は、その義務を学校自ら放棄した結果だと思う。
予備校は受験産業におけるビジネスだからなんら問題ないが、学校が予備校になるというのは
明らかにおかしい。

でも私自身、自分の高校時代のことがあるから「やること全てに損はない」と、頭で理解出来ても
「将来、必ず役に立つ」と、目の前の高校生に強く言い切るのは難しい。

世の中には「知らなくていいこと」が確実に存在するけれど、その「知らなくていいこと」が
本当に「知らなくていいこと」なのかどうかは本人達が選ぶことであって、そのためにはその
「知らなくていいこと」が本当に自分に必要ないのかどうなのかは、今まで蓄積された
「知っていること」が非常に役に立つのだけれど、その一連の過程について
あらかじめ取捨選択をするという権限は学校にはない。

以上が、やまざきさんの見解なのですが。


この国、大丈夫なのかな。
一番の心配はここなんですけどね。


コメントありましたらお聞かせくださいませ。







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コメント
こんにちは。やまざきさま。
僕全然考えがまとまってないのですが、またまたお邪魔しちゃいました。確かに仰るとおりですよね。高校までが予備校化するのは確かにおかしいと思います。しかし、これもなかなか難しいですよねぇ。ちょっと昔に言ったゆとり教育というのを完全に履き違えているので、授業数は少なくなるし、かといって、良い高校であれば良い大学に行くため、みたいな周囲の期待もありますからねぇ。本来それはあまり意味のない事だと思うのですが.....。興味を持つのがなんでも一番大事だと思うのなんですけどね。

もちろん良い大学に行けるなら行けばいいとと思いますし、行くための努力した人を採るというのはあながち間違えではない気もするのですが、大学4年間というのは、人が変わるのに十分な時間であると言う認識も必要な気がします。良かった人、努力できた人もダメになるし、その時は興味が持てなかった人もいきいきできるようになる。そこらへんを如何に社会が分かるかですよね。行って損はないと思いますが、良い大学行く事が全てでもなかろうというのが、もうすこーし広まってくると良いかもしれないですね。
やっぱりまとまりませんでした。失礼しました。(汗汗)
2006/10/31(火) 20:15 | URL | みみ #bDC0ydDE[ 編集]
・みみさま

コメントありがとうございます。
考えがまとまってないだなんて、私もとりあえず思ってることを書き連ねただけなので(苦笑)

>もちろん良い大学に行けるなら行けばいいとと思いますし、行くための努力した人を採るというのはあながち間違えではない気もするのですが

そう思います。
幸いにも、私の周囲にはいわゆる「いい大学」卒業者が多いのですが、みんな博識というか柔軟な思考というか、本当に「頭のいい人達」ばかりなので
一緒にいるととても面白いんですよね。
多分、この人達は学んだことをうまく情報処理する能力に長けている人種だと思うので
その大学を出た人がみんなそうとは限りませんし。
とどのつまりは、出身大学ではなくその人ありきの問題なんでしょうけど、そこを混同してる人達(自分も含めて)が多いのが、今の日本社会の現実なんでしょうね。

個人的には、学歴は脚立みたいなもんだと思っています。
自分の欲しい物が高いところにあった場合、すぐに取れるように。
でも、思い切ってジャンプしてみたら取れちゃうこともありますから、その辺が「社会に出れば学歴は関係ない」と言われる所以ではないかと。
私の欲しいものは脚立がないと絶対に取れないので(笑)今を頑張っているわけです。ええ。

じゃぁ、なぜ大学にいくのか?
そういう思想的な面も含めて「学ぶとは何ぞや?」を教えることが、学校の役割のような気がします。

なんだか私もうまくまとまっているのかどうかですね(笑)

またいつでもいらして下さいね~♪
2006/11/01(水) 20:27 | URL | やまざき #-[ 編集]
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